金鑚神社を訪ねて

先日、埼玉県児玉郡神川町にある金鑚神社を訪れた。関東平野の西の端に位置するこの神社は、御獄山の山麓に鎮座する古社で、その歴史は日本武尊の東征にまで遡るという。特筆すべきは、本殿を持たず御室山を神体山として直接拝する古代祭祀の形式を今に伝えている点だ。これは全国的にも珍しい形態で、神社の本質的な姿を今に伝えているといえる。

主祭神は天照大神と素戔嗚尊。さらに配祀神として日本武尊も祀られている。社伝によると、日本武尊が東征の際に火鑽金を御室山に納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったことが創建の由来とされている。「金鑚」という社名には、この地域の特性が反映されており、砂鉄を意味する「金砂」が語源とされている。つまり、この地域の鉱業との深い結びつきを示唆しているわけだ。

神社の調査をしていた際、神社の杜から、金鑚神社が「武州六大明神」の一社として数えられていることを知った。その格式の高さは、延喜式神名帳にも名神大社として記載されていることからも明らかで、武蔵国の五宮あるいは二宮としても知られていたという。

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境内を歩いていると、特に目を引くのが国の重要文化財に指定された多宝塔だ。室町時代後期に阿保全隆から寄進されたもので、高さ13.8メートルの二重塔婆は、その時代の建築技術の粋を集めた見事な建造物である。特に、塔の細部に施された装飾の繊細さには目を見張るものがある。

御獄山の中腹には、国の特別天然記念物である「鏡岩」が存在する。その名の通り、岩肌が鏡のように平らな面を持ち、地質学的にも貴重な断層面として知られている。この鏡岩までのトレッキングは、適度な運動量があり、週末の気分転換にもってこいだ。山頂からの眺望も素晴らしく、天気の良い日には遠く関東平野を一望することができる。

歴史的には、中世において武蔵七党の児玉党や安保氏から深い崇敬を受け、戦国時代には北条氏邦や長井政実の保護を受けたことが記録に残っている。御獄山にはかつて御嶽城が存在し、南北朝時代に築かれた山城の遺構が今も残されている。これらの史跡からは、この地域の中世における重要性を垣間見ることができる。

神社の周辺には、金鑚神社の分社や旧別当寺である大光普照寺が点在しており、かつての神仏習合時代の様子を今に伝えている。これらの建造物群は、この地域の歴史的な重層性を物語る貴重な文化遺産といえるだろう。

明治以降、金鑚神社は官幣中社に昇格し、現在は神社本庁の別表神社として、その格式の高さを保っている。年間を通じて行われる様々な祭事は、地域の人々の信仰の中心として、また文化の発信地として重要な役割を果たしている。

アクセスは車での訪問が便利だが、最寄り駅からバスも運行されている。神社までの道のりには適度な坂道があり、心身をリフレッシュするのに最適な距離感だ。参拝の際は、ぜひ御室山を背景に建つ鳥居から、ゆっくりと参道を上がることをお勧めする。そこには、現代では希少となった古代からの祭祀の形を体感できる、貴重な空間が広がっているのだから。