バブル経済とは、主に土地や株式などが、実体的な価格以上に高騰してしまう事を言います。
マーケット参加者の間で、「買えば必ず儲かる」或いは「今買っておかなくては損」等となどといった心理が支配的となった場合に
、こうした過熱相場になりやすいと言えます。
1980年代の日本のバブル経済について
では、1980年代の日本のバブル経済はどの様な経緯で起こったのでしょうか?
この辺りをざっと振り返ってみる事にします。
オイルショックを乗り越えた日本の輸出産業は、その後も順調さを保持していきました。
とりわけ1980年前後に至ると、家電、自動車などは世界の市場を席巻し、諸外国の同種産業に深刻な打撃を与えていた様です。
当時、”鉄の女”と称された、英国のマーガレット・サッチャー首相が怒りを露わにして日本に輸出の自粛を求めていたのは、周知の事実です。
1985年、ニューヨークにおプラザホテルに先進5か国の蔵相・中央銀行総裁が集まってドル高是正の協議が為されました。
有名なプラザ合意です。
この合意以降、はたして円高が進んでいきます。
日銀としては、当然ながら急速な円高を抑制すべく金利を更に低めに誘導していきます。
かくして低金利の時代に突入した訳ですが、金利が低いので預金をしても魅力がありません。
その結果、株式や債券といった金融商品に余剰資金が集まり、空前の財テクブームを呼び起こしました。
銀行などは有価証券に多額の評価益が生み出され、本来ならば経済活動の裏方役となる筈の銀行業が、経済活動の表舞台に出てきた様な、何処か奇異なビジネス環境が
現出しておりました。
「買えば儲かる」という相場展開が長期にわたる中、東京には銀行を中心に様々な外資系企業が集まり、東京はニューヨーク、ロンドンと並んで世界の三大金融市場と呼ばれ、その活況ぶりを謳歌していたように思います。
さらに低金利というメリットを生かして、ローンを組んでのマンション購入や土地の投機も活発化していった様です。
「土地神話」という言葉も流行っておりました。
誰しもが、濡れ手で粟同然の儲けに嬉々としていたようです。
さて、1ドル=100円にまで到達した円高はそれなりに輸出産業に影響を与えたようですが、バブル当時の日本はその分、内需に活況がありました。
幸か不幸か、この内需主導の活況が、多くの人々に異常な環境に対する警戒心を鈍らせていた様に私には思えます。
誰もが、今の日本の活況が末永く続く事を信じて疑わない様なところがあった様に思えるのです。
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